夜明けの星さん 男性 47歳
>「本気になる女性」と、「遊びの対象になる女性」の、違いは何ですか?
第一に、「“心”の薄っぺらな女性」。
その人の心に感謝し、その人の心を尊重したいと思うことが出来なければ、その人を大切にしたいと思うのは難しいでしょうし、“心と心”が通い合っていなければ、相手の心を弄んで傷つけることに対して罪悪感を感じにくいでしょう。
又、好きな人にだけいくら優しくしたところで、周囲に対する気配りがなければ、その優しさが「自分がよく思われたい」という自己愛に基く“見せ掛けの優しさ”に過ぎないことが判ってしまい、その“見せ掛けの優しさ”が利用されて、簡単に遊びの道具にされてしまうでしょう。
第二に、「遊びでつき合うことに自身も抵抗を持たない女性」。
このタイプの女性と遊ぶことには何の罪悪感も感じないのは当然ですね。
それが悪いことだと言うつもりはありません。お互い承知の上で快楽を求め合うことに他人が善悪の判断を下す必要などありませんから。
しかし多くの場合、このタイプの女性は自分が遊び感覚で付き合っているときは平然としていられますが、いざ自分が本気で相手を好きになったりすると、「遊ばれているんじゃないか?」と不安になったり、「遊ばれた」と相手を恨んだりするようです。
>①になるか、②になるかの、決め手を、分かる範囲で教えていただけませんか?
決め手は何といっても、その女性に“真心”が感じられるかどうか、その女性と“心と心”が通い合っているかどうか、その女性が安易に汚したり傷つけたり出来ないと男性に感じさせるような“心の気高さ”を持っているかどうかでしょう。外見が良くて心の貧しい女性は恰好の“遊び相手”でしょう。外見的なものはあくまで異性の注意を引き付ける道具に過ぎず、決め手はやはり“心”ですね。
ちなみに私は「遊び」で女性と付き合う気持ちにはなれませんが、本当に悪い男は心ある女性の「真心」につけ込んで、それを玩具にするようですので、十分にご注意下さい。