匿名希望さん 女性 41歳
内科に勤務している者です。精神科の勤務経験もあります。
私の経験上、教科書や数字に囚われて、がんじがらめになる事がむしろ精神を病むように、実感しています。
現代医学では解明できないような事は多数あります。癌ですら、治らないと信じている者にとっては数字上の結果だけが答えですが、
医者にも説明のつかない事は、沢山あるのです。
同じ病気なのに、診る医者が違うと、全く逆の答えがあるのですよ。一人の医者は教科書的に手術しなければならないといいました。確かに教科書にはそう書いてます。が、妙な確信があり、別医者を探したら、手術しなくても治りました。これが私の実体験でした。
私の知り合いには44~5歳で初産だった方が、何人かいます。その方たちは、初めから産むリスクがあるから結婚をどうするかというレベルの事は、考えてないです。全て、自然に、神に任せているのですよ。
また、最近の男性は体力もないですから、女性が原因と思い込むのは侮っているのではないかと思いますよ。
同じ女性でも、若さを保つ為に365日の健康管理に努めている人もいれば、若さにまかせて不摂生している女性もいます。数字に囚われている男性に、何を言っても無駄かもしれませんけどね。
では、ここで、数学の証明問題、「帰納」「演繹」について、話してみます。
「猫とネズミの関係」では、10匹中8~9匹の猫がネズミを追いかけるから、全ての猫はネズミに強いと結論づけてしまう時、そうでない猫がいる時にどう説明をつけるのか、答えが出せません。AだからBという結果になる、だからと言って、Bという結果の全てAと繋がりがあるとは言えないのです。こういった発想を、現代医学に無理矢理当てはめようとするから、精神が病むのです。
「演繹」は、根拠のない一般論からではなく、筋道のたった論理によって導くものです。人に言われたからという理由は、理由になりません。生命力があるものは、余力があり、その結果、次の生命を生み出す事になります。実年齢よりも体力的に若さを保っている場合には、実年齢に関係のない結果がでます。
車の運転もそうです。
前の車が曲がったから、自分も曲がる、そういう発想では事故を起こします。
前の車は関係ないのです。自分が、今、現実に目の前にしている状況を見極めて、もしかしたら陰から車が急に出るかもしれない、子供が急に飛び出すかもしれない、そういう予測と危機感を持って、安全に運転しないといけないと思いますよ。
ちなみは、自分は、免許を取って12年。はゴールド免許です。
こんなことを書いたからといって、出産について安易に考えているわけでもなく、希望も期待もなければ、諦めもありません。私という個人が決める事ではなく、もっと大きなものが導いているように思います。その事をいちいち気にやむのは、実にナンセンスです。
万が一、良いご縁があり子供が産まれてくれば大事に育てるし、そういう機会がないなら仕方ないだけですよ。
はっきり言って、そういう事で悩むなら、若い女性を手当たり次第、申し込んでいけば解決する事です。