匿名希望さん 女性 50歳
ふと、メールの頻度よりもっと大事な本質が抜けているのではないか?と感じました。
好きな人なら、1日1通の短文のメールにも心が満たされます。
なぜなら、心を感じるから。
好きな人の心を感じたい訳で、頻度がいくら多くても、心を感じられない、満たされないメールは意味がないのです。
心が通じ合える喜びがあるメールなら、それで十分と思えるものです。
そういうメールのやり取りをされてないのでは?と思いました。
長文でも頻繁でも、心に響く言葉、本当の意味で心温まる言葉の贈り合いができていないなら、何の深まりもなく浅い関係です。
頻度よりも、お互いの温かみ、心が寄り添うやり取りがしたいのではないでしょうか?
そういうやり取りができるお相手なら、お互いの求めているものを送りたいと思うものですし自然そうなります。
ならないお相手はちょっと違うのでは?