婚活人形さん 男性 41歳
男性からしてみれば、「対等な関係でいたい」という思いで「今日は」といっているだけかもしれません。
「また会ってくれれば…」っていうのは、恩着せがましい感じがして私は使いませんね。条件交換みたいなビジネスライクに好意を評価されたくありません。
第一、その流れで行けば、また次もそのまた次も男性が奢る流れになりかねないですが、もしかしてそれを見越しておられる?
「余計な」というのはあなたにとってそう感じるだけのことですが、何が余計なのかはまったく理解できません。「今日は」とつくことで次は奢ってもらえないかもという考えなのでしょうか?
減点的な話をするあたりや、文章から奢ってもらって当然という驕りも透けて見えます。
スマートに奢りができる男性は紳士的としても、与えられる好意(奢り)に対してたった一言で点数が下がるとか感謝の念が少ないあなたは、失礼ながらとてもとても淑女とか大和撫子と男性が思うレベルではないですね。
他の回答者様で感謝の気持ちについて書かれている女性の方々の方がはるかに好感持てますよ。
ちなみに、ヨーロッパでも若い世代には割り勘のケースが増えているようです。男女平等意識が進めば当然そうなりますが、私たちが既に半分古い世代であることをいれても、そういう流れの中で、あえて男性が払ってくれていることに感謝の気持ちが少ないのは、どうなんでしょう。と、この相談に限らず日々感じております。
女性と男性の経済格差が今より酷かった頃はともかく、今の男性が下がり、女性が上がった収入格差の少なくなってきた社会で、はたして付き合う前の男性の奢りは当然か?と思う部分もあります。やはり若い世代の割り勘感覚の方が世相を反映している気がしますね。
私は基本こちらが払う前提でしか活動していませんが、それはこちらの思いであって、割り勘を否定もしませんし、付き合っていないならば、交互に払ってもそれはそれでと考えています。