匿名希望さん 男性 53歳
かつてこういったイベントがお開きになった瞬間から、「二次会に行きませんか」と誘って回った立場で経験したことから一言。
まず、皆さん、1つのきっかけで随分と変わるのだな、と思わされることしきりでした。10人ほどの集団になったら、どこか場所を見つけてスタートするのですが、この辺になるとこちらがフォローしなくても、それぞれの方が自分で思い思いの楽しみ方を見つけて、自分だけでなく周りの方々と一緒に楽しまれている。
こんな光景を眺めていると、ちょっと不思議な気持ちになります。今私の目の前で二次会を楽しんでいる方々は、こちらから声をかけなければ、まず間違いなくそのまま帰ってしまったことでしょう。
これに対して、今日のこのイベントに参加していながら、二次会のお誘いにも応じることなく帰路についたかたがたは、、、、結局この場を活かす術を知らずに、成果と呼べるようなものを全く持ち帰ることができなかったと言うしかないでしょう。
では、この二つの意味行動パターンを比較してみて何がわかるかというと、一人のひとが見知らぬ人と親しく楽しむ際に超えなければならない心理的障害は、ひとつとはかぎらない。この場合のように、人によっては「イベントに参加するかどうか」「二次会の誘いにも応じるかどうか」「二次会の席で周りのみなさんと打ち解けて、会話にも自分から参加できるかどうか」といった三つの障害をクリアする必要があるのです。
でも、先行する障害をクリアできた人は、後続する障害をクリアすることをさほど困難だとは感じないように思われますね。先の例でお話しますと、「イベントに参加した人」は、私の手応えでは、「二次会へのお誘い」にのりやすい、さらに「二次会に来た人」のなかで、周りの人とどう打ち解け、楽しめばいいか、自力でまったくわからない、という人は、まず見ないですから。
こんな体験をもとにして、相談者さんが問題として取り上げたことがらについての回答をまとめますと、
たぶん、誰もがそうした要求にすぐさま的確に応えられるとはかぎらない。
それぞれのひとにとって超えねばならない障害はひとそれぞれ、だから、あんまり一般論で括ってほしくないです。むしろ、二次会で楽しんでいる姿を見ているだけに、何かのかたちで自分を縛っていた障害や困難を乗り越えるようなきっかけさえあれば、きっとやってくれるはずだ、と思わずにはいられません。