匿名希望さん 女性 29歳
何を幸せの定義にするかで変わると思います。また、そこに恋心があるのかどうかでも。
恋心が有ると仮定したとき
①であれば、相手の行動言動に一喜一憂することに振り回されていると感じて、辛い事の方が多いかと思います。それでも追う側の方がドーパミンやエンドルフィンは大量に出る筈なので、尽くすことへの満足感や愛情への枯渇で振り向いて貰おうと必死になり、退屈はしないと思います。でも、相手側から一方的に終わらせられたときに死にも近い絶望を感じやすいのは此方ですし、終わらなくても傍に居る限りずっと疲れます。
②の場合、安心感は得られますが此方が優位に立つために相手をつい蔑ろにしたり甘えが過ぎたりしますよね、時には鬱陶しいと思うことも。子どもが親に対する態度に何となく似ているかなあと思います。他に好きな方が居るときは、愛されているのは幸せなことだと理解していても、その人が好きな人と同程度かそれ以上の容姿、性格、収入でないと比較して愛せないままでしょうね。情は沸くかもしれませんが。
口に出さず、態度に出さず、大切にされることに露骨な罪悪感を抱かず相手を蔑ろにしたりしないと思えるなら②の方が女としては幸せかと思います。
恋は落ちるもの、愛は育てるものだと言われているように全くの別物ですから、どちらがより幸せということもないんじゃないでしょうか。
結論として、私はどちらにせよ深く他者に心を注ぐことはお互いを潰すことだと思うので、どちらも嫌です。程々が良いな。