匿名希望さん 女性 50歳
バツ有子有の男性の後妻になりました。
3歳までは子供と同居だったそうです。
私たちの子供についても、3歳までは大変積極的に辛口コメントを頂きましたが、こどもが3歳の誕生日に一言。
「3歳以上の子供の事は経験が無いのでわからない。よって当てにしないでほしい。」その後は、見事なまでの放置プレイ。
と、いっても、人見知り(生後6~12か月)が始まりだすくらいから・・・
買い物や美容院へ行っている間、見ててね(近位の見守り)といったら、傍に入るけど、泣こうが、いたずらしようが、傍観してるだけ。
それは、子どもの発達と介入での距離感が解っていないからのですね。
でも、かくいう私も、子供の発達や成長については、子供と一緒に、子供のおかげで、親にさせてもらっているんです。
御相手の女性が45歳以上となってくると、お子さんの年齢も中学生・高校生位以上でしょう?
分かった風な口を叩いても、大人からすると、言動程には内容や行動が伴っていない未成熟さ・危うさがあり、しかも不用意な衝突は不毛なガチンコ関係に陥るだけなので(発達過程では反抗期)、宇宙人だと思ってトラブル回避はしつつ、手の上でよしよしと小出しに褒めて誘導して場を収める。
まあ、めんどくさい。。。
思春期の子持ちが敬遠されるのって、小さい子と違って、もう大人のごまかしがきかないとか、まあ、そこら辺にあるんじゃないかしら?!とか、思ったりします。
例え、いくつの子供が相手であろうとも
初婚だから、子育て経験が無いから、=物足りないということではないと思います。
生態系や発達過程などを総合し、個々の個性や個別性を見極めて介入していくスタンスが子育てには求められている、という原則があるだけなので、初めは誰もが初心者ですし、当事者の一人親さえも日々が親になる成長の場です。
>子どもを育てた、という共有感は大事ですか?
家庭運営でも、一番弱者といわれる対象が保護対象の基準になるので、子供がいれば子供がペースの基準や中心でしょうが、それを共有感としてかたずけることとは違うと思います。
夫婦の中に組み入れながら物事は進める必要はあるけれど、
さまざまな生活場面で、苦楽を共に乗り越えていくこと
それを、日々ずっと重ねていく信頼が絆だと思うので・・・
例えば、恒例の家庭行事であったり、日常のある一部で有ったり、一緒に同じ時間や物事を変わらずに共有し続けていくこと
が、後々のお互いの心のよりどころに残って積み重なっていく事かなとか・・・
これは、初婚同士で過程を作っても同じだとおもいます。
大げさに言えば、積み重ねの歴史が、家風とか、家訓にも繋がっていくのかなと。。。
毎晩10時には親父の仁王立ちの門限が・・・とか
クリスマスには毎年00したな・・・とか
日曜日の夕方には、よく家族で買い出しに行ったな、とか
親父と創るメニューは、いつもカレーだったとか
1番さんもおっしゃっているように
それまでの事をひっくるめて、その先も丸ごと運命共同体になるのが家族だと思います。
恋愛中は当人だけでよい個人プレーでしょうが、結婚は家同士・家族同士の集団プレーなのだと思えば、子供がある状況とは、既に家庭・家族ぐるみのお付き合いだということなだけで本質は変わらないと思います。
そしてシンママだから子育てが完ぺきということもないのです。子供一人一人みんなちがうのですから・・・
お互いに同じ人間同士なのですから、お互いに尊重し合い、信義誠意あれば乗り越えていけます。
