匿名希望さん 男性 39歳
どんなに親しくても「他人」で、肌を超えたら自分じゃないんですよね。
触るもの、話すこと、食べるもの、見るもの、全部自分じゃなくて、他人・他のもの
その自分じゃないものを自分として拝借する、自分として見てもらうことが「甘える」だと思ってます。
美味しそうだからお相手のおやつをちょっと貰う。
忙しいだろうけど、自分の為に相手の時間を頂く。
我がままを聞いてもらう、自分都合を受けてもらう。
どこまで受けて貰えるか、どこまで求めるかがお互いの距離なんでしょうね。
もっとも、お互い甘えてイーブンになってる所も有ると思うので、甘えさせて貰ったら甘えてもらう、相手を受け入れる。
そうやって、自分の中の相手の部分を増やしていくと、幸せかもですね。
生物は自分を保全する。
生物を安全を求める。
周囲を自分化するか、自分を周囲に合わせるか。
自分以外のなかに自分を見つけたとき、安心する。
なので、自分の中に誰かを入れると、相手も安心するものです。
(相手を認めたり仕草や言葉を真似たり理解したりね)