匿名希望さん 女性 41歳
「父親が間違えなく理系。冷静、結果主義、経過の努力より結果のみ。母親が間違えなく文系。感情論、経過くどくどくどすぎる。結果までいきつかない」
実際理系のお勉強に強いか文系のお勉強に強いかという話をすれば、それは上記の性質とは全く関係ないと思います。
というか、学問としては、文系の方が思考とひらめきの頭脳勝負、理系は体力や実質的能力も必要、って感じの分野が多いし、文系は一人で研究するから社交性なし、理系はグループだから社交的、という側面もあり(あくまでただの傾向ですが)、一般に「理系」「文系」って言うときのイメージと内実は随分違うと思います。
(理系の学問は最初から出すべき結果が見えててそれを目指して実験したりするけど、文系は論証を組み立てるのが全て、という意味では結果主義と経過主義の違いはあるとは思いますが。)
むしろ人が普通「理系」「文系」って言葉で指してるのは、どっちの学問分野に強いかっていう能力や指向性のことじゃなくて、まさにご相談者さまがおっしゃる「冷静、結果主義、経過の努力より結果」か「感情的、経過主義」かっていう、性質のことのように思います。前者の性質をもっていれば「理系」って言って、後者の性質をもっていれば「文系」って言う。
なのでご質問は、冷静で無駄が嫌いな結果主義の人と、感情豊かでプロセスを大事にしたい人とでは、うまくいくと思いますか?ってことだと思います。
私の考えでは、
冷静に見える人ほど落ち込むときはひどく落ち込んだりするし、
感情をよく表す人でも内心クールに世の中観察してたりもするし、
結果主義の人も、途中の議論をおそろかにして失敗して反省することもあるし、
経過主義の人も、結果がでなくて後悔することもあるでしょう。
見え方ほど、中身は違わない、って、私は思います。
それに、違ってたとしても、それで尊敬しあえることもあると思います。
自分と同じ人間って、一緒にいればペースも同じで心地よいけれど、尊敬する要素は見つかりにくいでしょ。
どうしてもあわない人もいるけれど、そうじゃないケースもいっぱいあるんじゃないかなあ。
ただ、稀に、自分を「理系」っていう男性で、「俺賢い」という意味で、アピールしたくてそう言ってる人がいたり。俺優しいし気が利いてオシャレだぜ、ってアピールしたくて「文系」って言う人もいたり。
実際には文系でも理系でもいいと思うけれど、自分で不必要にそう「主張する」人は、いずれにしても自己顕示欲強そうで、私は警戒します(笑)
