匿名希望さん 女性 37歳
少し専門的で、当事者の立場ではなく違う視点からお話します。
DVに合うとき、人は基本的にとても小さなことから積み重ねて慣れていきます。
例えば、外出制限。
例えば、食事制限など、小さな小さな事から始まります。味付けが気に入らないから食べないで、それをネチネチいびり相手が萎縮するのを待ちます。
日本は基本的に儒教の要素が大きあ部分があるので、男性を敬いなさいと言う要素がありますから、男性は力を振るっても良いと勘違いしている方も多いようですが、基本的に他人と話している時に、社会的にまずいと思うことを平気で妻に言う人は
モラルハラスメントの傾向にあります。つまり、かいしゃで振舞われた食事で、たとえ美味しくないと思っていたもしても、相手には決して言わないのが礼儀だとわかっているのに、妻になら怒鳴りつけてもいいと思っている人が多いということです。
この場合怒鳴りつけるよりも自分で納得する家事をこなせばいいのであり、人にやらせる必要がないことに気づかない人がDVを起こします。
対して妻はなぜ逃げられないのか、良く見るとDVそのものは認められていませんが、妻はそこから自立して今後の人生を生きていくだけの明るさが社会にありません。
また、自分を締め付けてまで自分を欲していると勘違いしがちな為、欲されているという変な満足感を得ます。
本当はいい人なのよ、とか、本当は優しい人なのと言うのであれば、その女性は完全に優しいのに私のためにこんなになってしまってと、思っている部分もあります。
現実に立ち返れず、酔っているのです。でも、そういう人を外部の人は助けることはできません。
あくまで本人が逃げたいと思わない限り、それは永遠に続きます。
そういう相手とは手を引くことです。
自分を心配してくれる人が増えれば増えるほど、そこに固執します。