匿名希望さん 女性 47歳
人はなぜ、たとえ失敗したとしても、また再び、人を好きになったり、愛したり、恋をして、結婚したいと、思うのでしょうか?
諸外国では、閉経を迎えた母親(46歳)の卵巣や子宮をその娘に移植して、こを儲けることに成功しているそうです。
現実的な話では私のように初老と言われる年齢でも、毎月順調に月のものを迎え、かつ健康ならば、もしかすれば、計算婦の底力と?先端医療の力を持ってすれば、可能なのかもしれません。
でも、再婚について、私が求めるものは、子供をあえて欲しいとか、経済的に楽をしたいとか、Hをしたいからとか、寂しいからではなく、残りの20数年であろう、寿命の中で、
・共に年老いて、弱って、死んでいく過程のなかで、普通の平凡な生活の幸せを分かち合える相手が欲しい。
・お互いに、パートナーが違う子連れ同士で良いから、離婚でできなかったこと(子育てでの後悔)を、お互いに、普通の家庭と変わらない、お爺ちゃん・お婆ちゃんとして、孫と向き合う中で、人生の帳尻をせめて埋め合わせて、お互いの子供たちに貢献したい。
そういう、夢を持ってのことです。
あんたは、まだ、40代前半ですから、あと、5年後にはそんな心境になれるか?と思われるかとも思います。
でも、もうすぐ50の声を、待つ身になると、お迎えは70か?80か?それまでに、あと何を残して行けるだろうか?
そんなことを、70代な半ばの、親の後ろ姿をみて、痛感します。
恋愛も結婚も出産も子育ても一応は、経験してはきたけれど・・・
まだ、共白髪は、道半ばなんです。
そういう価値感と、目的と、そんな人もいるというお話です。