匿名希望さん 女性 27歳
「奢る」というのは「厚意(好意ではありませんよ)」です。
基本自分が食べたものは自分で払うというのは
「当たり前」のことです。働いてるいい大人ならなおさらです。
その中で相手が「ご馳走」してくれたら、それは相手の「厚意」です。
だけど厚意というのは人に求める訳でもなければ、
しなかった人に対して「ケチ」と感じるものではないですよね?
厚意に甘んじる側の人間が相手に対してケチだのセコいだの言うのはあまりに無教養で、下品で浅ましくて、ごく一般な道徳も学べなかったんだろうな、と感じずにはいられません。
人の厚意というのはあくまで「善意」のうえで成り立つものであって、される側が「要求」するものじゃない。
人の善意を当然のことのように求めるのは品がないとご両親に教えられなかったんだろうかと思ってしまいます。
デビ夫人の件はなるほどと思いました。デビ夫人は元々は貧しい家の出ですからね。
本当に上流階層出の裕福な人間は「相手にお金を出させるのは当たり前」なんて発想は持たないでしょう。
小公女セーラでいうと
田舎の成り上がりの娘アメリアはデビ夫人と同じようなことを言いそうですが、
セーラは「女の子はおしゃれにお金をかけるんだから、食事代は殿方が払うべき」
なんて言わないでしょうね。
おごられるのが当たり前だという女性は教養と品性と道徳を学べなかった「心の貧民層出身」であると私は思っています。